ピンキリ通信簿

ピンキリなモヤモヤを昇華するただの日記

呪いからとけた40才

20代中盤から、繁殖期に入った。

結婚をしないといけない、なぜならば私は自分で十分に暮らしていけるほど稼げる仕事についてもいないし、そして何より会社が嫌いだった。仕事は好きだったけれど、職場がどうしても馴染めず、とにかくこの場から逃げ出す手段は結婚しかないと思っていた。

そして、繁殖期になると「モテ服」で武装した。

いつだって、オトコ受けのいい服を着て、オトコ受けのいい返答をして、オトコ受けのいい化粧をすれば大抵の男性に好意を持たれた。誰にでも受け入れてもらえる外見を作り出した。

その時に限っては、誰にでも受け入れられるけれど、本質的な自分を出す段階でいつも失敗する。そんな人だと思わなかったと。

服は記号である。

服はその人を表す表現である。

誰にでも受け入れらるるモテ服とは、すなわち、自己表現を極限まで隠しマジョリティと化すこと。そんな服装で偽った自分は誰からも受け入れられなかった。だって、着たい服を着ていたわけではなかったから。それは、本当の姿の自分ではないから。

その後運良く、モテ服で武装する前からの友人だった今の夫と結婚して、とても暑い土地に住み、ファッションよりも実用的な暑さ対策の服装になった。そして出産していつだってボロボロの洗える服になった。

40歳になった今、ようやく好きな服を買い始めている。15年以上、好きな服を着ていなかったことに気がつく。

数年前、子供の幼稚園で感じていた、記号のように同じコンサバママたち。あの中にいるだけで、虫酸が走った。今の方が、いろんな趣味嗜好の人がいる。自分の好きな服装で自己表現することは、生活する上でとても重要だと今更気がついた。

とはいえ、そんなにおしゃれな人間ではない。ただ、自分が着たい服を着るというそれだけ。高校の時の制服も大嫌いだった。

40才を迎え、やっと本当に自分が好きだった服装を、人の目を気にしないで着る勇気を持った。人にどう思われるかをいつも思いながら服を選ぶ呪いから解放された。誰に、どう思われてもいい。自分が好きならそれでいい。

15歳でしか着られない服、20歳でしか着られない服、29歳までしか着られない服、40歳から着られる服。服にも消費期限がある。その時の感覚や、体型、時代、流行、それを踏まえて、今しか着られない服がある。

自分が今着られる服は、いま着ないと、一生着られない。

だから、私は今着たい服を着る。それで友達が減るならそれでも構わない。だって、それが私だから。

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