尊重しているかされているか
久しぶりに会った独身の友人。
独身。アラフォー。「早く結婚して子供を産みたい」という。
「そっか」
私は、何も言えない。いつもいつも、本命の彼女になれず知らぬ間に結婚されたいたりすることがなぜ続くかが、数分会話しただけでわかってしまっても、それを言えない。
本音で全く会話ができなくなってしまった。
本音で話せないのはもう友達じゃないのかな。友達だと思っていた20年前、あの時から友達ではなかったのかなとさえ思えてしまう。
会ってからしばらくモヤモヤが収まらなくて、その原因を考えて反芻していた。
近頃は、長年友人関係を続けてきた人たちとどこかしっくりこない部分や、モヤモヤを感じることがあって、その原因はたった一つのことだとわかった。
それは、彼女彼らに尊重されていないと感じること。
人間関係において、自分が尊重されていないと感じたら、その場から逃げ出してもいい気がする。もう、そんな関係続けていくことで自分を消耗したくない。もう、人付き合いで自分を傷付けなくてもいいんだよ、と自分に優しくなりたい。自分を守るため。
私は、昔の自分とは違うんだ。尊厳を持って生きている。
ボロボロに傷ついて、それでもニヤニヤしていた頃。痛みに麻痺して笑うしかなかった。でも、もうそれはしたくないんだ。私は一人の人間であり、傷つけられることにやめてほしいですと声を上げてもいいんだ。もし、それができない相手だったら、その場から逃げ出してもいいんだと、中年になってから悟った。
子育てをしている上で、とても考え方がシンプルになった。
今は大人でも、子供でも、一人ひとりの人間を尊重して接している。だれも私を傷つけないし、私も子供や周りの大人を攻撃することはない。
大人の世界でそれが存在するのは、尊重されない人たちが、連鎖して傷つけあっている。ストレスの連鎖である。私は、大人になって子供に生きる術を教えなければいけない。自分が尊重されない場面があったら、そこから離れていいんだよ。それをもっと早いうちに、自分が知りたかった。
それは、大きな意味でいうともしかしたら「そこに愛はあるか」ということ。尊重されている、大切にされている、愛されている。信頼されている。自分も同じ。
その関係が成り立たない場合、無利益な友人関係はもう続けられない。