ピンキリ通信簿

ピンキリなモヤモヤを昇華するただの日記

永い言い訳

一人で夜中にAmazonPrimeで鑑賞した映画「永い言い訳」。

西川美和監督が、昔から好きだった。それは、登場人物の人間臭さだった。

「ゆれる」は映画館に2度見に行き、私の核をついた。

「ディア・ドクター」は、余貴美子の演技に圧倒されつつ、人間の弱さを見せつけられた。

今回の「永い言い訳」は、美しい本木雅弘主演でありながらのクズな男性っぷりが見事であると同時に、子役の二人があまりに素晴らしく冒頭から泣けた。

残された遺族、竹原ピストルが亡くなった奥さんの残した留守電をずっと聞くシーン。私も大好きだった人の声をずっととっておいてずっと一人で聞いていた。もっくんが、何かを思った時に溢れ出る言葉を書き留めることも、20年以上同じことをしている。

まるで、自己投影された残された演者たち。

悲しみは、どんどん失ってしまうから、悲しいと思える時に思い切り悲しめるようになりたい。そう思えた。

モッくんのマネージャー役が言う「子育てって免罪符じゃないですか」

というセリフにハッとした。男にとってと続いたけれど、それは男も女も関係ない。

私にとって子育ては、今までのクソみたいなクズみたいな人生をリセットさせてくれる。

今、この年齢になって邦画の良さを改めて感じている。

邦画は私にとって、哲学である。

生きるとは何か。風景や音、日本語の美しさを感じ、セリフの細かな部分に触れ、人の汚さや美しさ知る。

それはまさに哲学だ。

先日、昔からの友人に映画を見ない理由を言われた。「人の作ったストーリーを2時間拘束され、その2時間を消費されるのが勿体無い」と。モノづくりを大きく世界規模でしている人に言われた言葉が重くのしかかり、私にとっての映画は、私を大きく形成する大切な一部だと思い知らされた。

映画を見ないと言われただけなのに、私自身を否定されたかのような気持ちになった。13歳の頃に一人で映画を見にってから、何十年経っただろう。私にとって映画は、すなわち生きる道標であり、現実からの逃避でもあり、娯楽という一言では済まされない。

映画が自分を形成したと言っても過言ではない。辛かった15歳から、ずっと見続けてきた。15歳の私を救ってくれたのが映画だった。

永い言い訳」は、子供ともっくんのふれあいが一番の見どころ。ただ、演技の枠を超え、もっくんの、子供に対しての扱いがうまい。彼の子育てを、垣間見るようで、暖かい気持ちにさせてくれる。

この映画の主題、愛とはなんだろう?最後に答えは出るけれど。一人一人その答えは違う。私の答えは、愛とは責任だ。

映画は、自分の答えを引き出してくれる。西川美和監督の作品はいつもしばらく自問自答させてくれる。インタービューを見ると、彼女が40歳近くなってできた価値観の集大成と言ってた。同じ年齢になって、共鳴するのも深く頷ける。

私にとって「今」見てよかった。

amzn.to