ピンキリ通信簿

ピンキリなモヤモヤを昇華するただの日記

4年生、中学受験への道

ここ数ヶ月、中学受験についてとにかくリサーチしまくっていた。どこの塾がいいとか、どこの学校の方針だとか、塾の生活に子供がとにかく馴染めるようにサポートして、どんな声かけをするといいとかそんな本ばかり読み漁り、Twitterで最新情報をとにかく検索し、インプット量が凄まじい毎日なのに、アウトプットが全くなかった。

だから、入れても入れてもどんどん忘れる。これが40代か、としみじみと感じていた。

2月から入った大手塾はとにかく授業が楽しいらしい。帰宅してすぐに自分からどんな勉強をして、どんな子がどんな話をして、先生が面白くてと、すでに半年たった今でも毎回シャワーのように出来事を浴びせてくる。塾の方針が「対話」であることがよくわかる。

私は大学受験の時に予備校に1年通っただけで、公立中から地域の進学校に塾なしで行ったので、塾がどんなところか全く検討がつかないまま大人になった。子供が塾に通い、違う学校の子達と親睦を深め、勉強できる子に対する敬意を感じたり、自分よりもできる子がこんなにも世の中にいるんだということが早い段階からわかってるのは、正直なところ羨ましい。

真っ直ぐに、人に敬意を持って勉強することで目標を達成する道筋をこんなに小さい頃から訓練し続けることが、人格形成においてとても大事だと思う。しかし、一歩間違えば、人を見下して自分の優位性で自己確立をしてしまう。その匙加減が本当に難しい。子供はとにかくマウントを取りたがる生き物だから。

小三の2月からの入塾は少し早いと思って躊躇していたけれど、実際正解だった。勉強だけでなく、同時期に入った子達と「同期」として授業に積極的に参加する中核になれたこと。いつ死ぬかわからない癌の義母が、娘の勉強をみる「役割」によって生きる希望につながっていること。娘の成績が伸びることで、目にみえる成果を義母が実感できること。

今はとにかく学びことが楽しい時期で、どんどん吸い込める。でもどこかで飽和状態になって伸び悩む時期がきっと出てくる。もうやめたいと言い出した時、すぐにやめさせられるように心の準備を私がしておきたい。

 

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない

新卒で働いていた会社が辛い時期、当時40歳くらいだった経営者のおじさんが私に言った言葉。ずっと忘れず心に残っている。

ホルモンバランスとの戦い

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産後授乳期は、とにかく鬱っぽく怠く、疲れやすく、今思えばあれはホルモンバランスの異常であったのだけど。当時は慣れない夫の実家との距離の近さや親戚の近さに、ボロボロになっていた。誰に対しても僻みっぽい自分が嫌だった。街に住む全ての人がキラキラ輝いて見えて、辛かった。

全ての授乳が終わり、人生最大の巨乳時期が過ぎ、気がつくとおそらくこれが更年期の入り口かも。夏は首の汗がまさに滝。生理も3日くらいで終わる。生理痛もほとんどなくなってきた。その代わりに、気分の浮き沈みが激しい。排卵日付近のイライラは、家族だけでなく幼稚園のお母さんたちにまで及ぶこともざら。お母さんたちだけでなく、その子供たちにも。

1ヶ月のうちに気分よく、体調もよく、朝から張り切って動けるのは実質1日あるかないか。誰とも会わずにその日々を過ごしたいのが本音だ。

感情的になり過ぎて何も書いてはいけないと思える日が続いた秋の日々だった。母の更年期と娘たちの反抗期が重なった地獄を私は知っているので、その日がくるのが本当に怖い。そう、実体験で。日々の感情コントロールで、自分を抑えられない時は一度よく咀嚼してみる。これは私のホルモンバランスのせいか?それともこの事象そのものに原因があるのか?すぐに感情的にならいようにならぬよう自分を律することができるようになった反面、相手から受けるダメージが後からどんどん増してくる。ジワジワと。

あの時、もっとこう言い返せばよかったというモヤモヤが増幅する。しかしそれももしかしたらホルモンバランスのせいで増幅しているのか?

40歳、すっかり心も体もホルモンに振り回されている。

命の母ホワイト飲もうかな。

amzn.to

「選択の科学」から学ぶ子育て

子育て9年生の自分はまだまだ子育てのポリシーという確固としたものがないように思っていたけれど、子供の友達と接している時のよその家庭の「決まり」を垣間見ると、意外と自分の中でそれは違うんじゃないかという違和感を覚えていることに気がつく。

『自分の人生の選択を自分ででき、幸せを実感できる人間になって欲しい』

自分の子供にどのような大人になって欲しいかと長期的な目で見た場合この言葉に尽きる。

どんな学歴であれ、どんな結婚や離婚や交際をしようとも、その時の選択で幸せを感じられる人間はすなわち自己肯定感の高い人間。

子育てに行き詰まると読む私のバイブルはいつもこの本。「選択の科学」という全盲のインド系アメリカ人女性教授が書いた本だ。

自分で選択するという権利を持って生まれた人間が、選択することで人生を豊かに幸せを感じることができるという実証実験をまとめている。

いつも子供の勉強や受験などに関してママ友に「女の子にそんなに勉強させてどうするの?」と聞かれる。以前とっさに「自分の人生の選択を自分でできるようになるため」と答えた私。そっか、無意識にそう思っていたけれど人にこうやって考えを伝えたことがなかった。私の思っていることは、どんどん人に伝えようと思った。それが自分の発見にもなる。子供たちにも伝えよう。

自分の人生は、自分で選べる。

当たり前のことでそれが生きる権利なんだけれど、それってすごく贅沢なこと。その権利を持てることがどんだけ幸せなことか、子供たちが気づくことはあるんだろうか。それが当たり前で、日々小さな選択が幸せにつながっている人生になって欲しい。

 

 

災い転じてフク”となる

肺がんの疑いは、CT検査で晴れることとなった。

結果が出るまでの約2週間生きた心地がしなかった。

写真を撮ることもできない。時間が止まっていた。

大切な友達であればあるほど言い出せなかった。無駄に心配をさせて、なんの意味があるか。そして、もし、病気だった時に大事な人たちを悲しみの淵に落とす告白をすることさえも憚れる。

私のことを思って、悲しい気持ちにさせることが申し訳ない。けれども、ちっぽけでつまらない私のために、きっとこの人は悲しむだろうと想像するだけで自分の人生の救いになった。すべては妄想でしかないけれど。

私には、私を思ってくれている人が少なくとも存在すると思えるだけで私が今まで生きていた足跡となった気がした。

疑念が晴れ、足取りも軽く帰宅途中にフグが落ちていた。

生まれて初めて道にフグが落ちているのを見た。ああ、これは福が落ちてきたのかな。そう思って、ゴミ袋に入れて片付けた。

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一度死んだかのように、私の人生はまたリスタートになった。一度しかない人生を、楽しもう。

いつも誰かを尊重して生きると思ってから、尊重しないで生きている人がわかるようになった。そんな人にもし傷つけられたら、自分をもっと守ろう。自分自身を、もっと大事にしよう。そう思えるようになった。

 

尊重しているかされているか

久しぶりに会った独身の友人。

独身。アラフォー。「早く結婚して子供を産みたい」という。

「そっか」

私は、何も言えない。いつもいつも、本命の彼女になれず知らぬ間に結婚されたいたりすることがなぜ続くかが、数分会話しただけでわかってしまっても、それを言えない。

本音で全く会話ができなくなってしまった。

本音で話せないのはもう友達じゃないのかな。友達だと思っていた20年前、あの時から友達ではなかったのかなとさえ思えてしまう。

会ってからしばらくモヤモヤが収まらなくて、その原因を考えて反芻していた。

近頃は、長年友人関係を続けてきた人たちとどこかしっくりこない部分や、モヤモヤを感じることがあって、その原因はたった一つのことだとわかった。

それは、彼女彼らに尊重されていないと感じること。

人間関係において、自分が尊重されていないと感じたら、その場から逃げ出してもいい気がする。もう、そんな関係続けていくことで自分を消耗したくない。もう、人付き合いで自分を傷付けなくてもいいんだよ、と自分に優しくなりたい。自分を守るため。

私は、昔の自分とは違うんだ。尊厳を持って生きている。

ボロボロに傷ついて、それでもニヤニヤしていた頃。痛みに麻痺して笑うしかなかった。でも、もうそれはしたくないんだ。私は一人の人間であり、傷つけられることにやめてほしいですと声を上げてもいいんだ。もし、それができない相手だったら、その場から逃げ出してもいいんだと、中年になってから悟った。

子育てをしている上で、とても考え方がシンプルになった。

今は大人でも、子供でも、一人ひとりの人間を尊重して接している。だれも私を傷つけないし、私も子供や周りの大人を攻撃することはない。

大人の世界でそれが存在するのは、尊重されない人たちが、連鎖して傷つけあっている。ストレスの連鎖である。私は、大人になって子供に生きる術を教えなければいけない。自分が尊重されない場面があったら、そこから離れていいんだよ。それをもっと早いうちに、自分が知りたかった。

それは、大きな意味でいうともしかしたら「そこに愛はあるか」ということ。尊重されている、大切にされている、愛されている。信頼されている。自分も同じ。

その関係が成り立たない場合、無利益な友人関係はもう続けられない。

がん検診の再検査のお知らせ

先日受けたがん検診、肺がん疑いありでCTを撮ることになった。可能性としてはゼロではないけれど、限りなくゼロに近いと医者に言われた。

その結果を思い、ここ数年の私の生きるテーマである「人がいつ死ぬかわからないから、会えるうちに会う」がより明確に感じた。ちょうど、検査のお知らせが来る前日まで友人の住む街に

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漆の試しがき


行っていた。人と人とをつなぐ旅。会いたい人に会う旅。コロナ禍で、そのことを帰ってきてから人に言ったら軽蔑されたけれど。

今行ってよかった。私なんていうつまらない人間が、少しでも人の役に立てるならば。少しでも生きる意味がそこに見出せるのならば。人生の意味は、人と出会い人をつなぐこと。お金でできることではないし、仕事につながることでもない。

彼女たちの絆がつくられますように。

神社仏閣なんて今はどうでもいい。会わないといけない。大事な人に会えたら、いつ死んでもいいと思える。後悔がなくなる。

もしも癌だとしたら、もっともっと積極的に人に会おう。癌でなくても、もっともっと人に会おう。生きている証しは、その人に出会い喜びを分かち合うこと。悲しみも分かち合える。大笑いする空間、しんみりする瞬間、それらを感じる日が待ち遠しい。

 

女の子を育てる価値観の継承

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社会にでる22歳まで、女性がこんなにも世の中で働きずらい生き物だとは知らなかった。

母はずっと働き、専業主婦に向けたヘイトを繰り返す人だった。小さな町の進学校だった公立高校では、一番頭のいい子は女の子で、確かに理系クラスに女子は少なかったものの女子も男子も勉強熱心だった。そして大学で唯一教授に言われたのは「女の子はどんなに絵が上手くても結婚したら描かなくなる」という言葉。

今思えば、あれが初めての女性の現実だった。

働いていた商社では、あからさまに女性蔑視があった。女は結婚してこそ幸せになれる、夫を支えてこそ女。

色々家族の事情があって、私の一番の趣味だった仕事をやめ、夫の家族のために働くことを諦め、家族のために家にいる生活を送ることとなった。12歳の頃の自分からみたら、信じられない未来。将来働き続けると思う女の子は手をあげてくださいと教師に言われた小六のあの日、クラスで手を挙げたのは私だけだった。

今、女児を育てていて仰天する言葉がある。それは、この21世紀とは思えない価値観。「女の子は男の子のように勉強しなくていい。」

小学校から私立に通い、中学高校大学も女子大、そして安定したエリートな旦那さんと結婚したお母さんがサラッという。初めての価値観に、驚いた。そうやって育てられて、専業主婦になって今が幸せだと思えるから言える、その価値観。100年前かと思った。

いろんな家庭があって、いろんな価値観があるのは理解しているつもりだけれど、そうすることで女の子の未来を奪っているような気がしてならない。

「どうせ結婚するんだから、勉強なんてすることない」と言われ育つ女児が、この21世紀の日本の首都圏のアッパー階級で、再生産されている現実がある。専業主婦であることが、幸せであると思える価値観を子供の頃に与えれば、専業主婦であることに疑問を抱かず幸せで生きられるのかもしれない。

私は、そうやって育てられなかった。母に働かない人間の価値はない、勉強して向上心を持って生きろと育てられたおかげで、今、働かず、子育てに追われるだけの毎日の中で自分の価値を見失うことがよくある。

いろんな価値観があってしかるべきとは思うけれど、一番は、どんな状況でも自分が今一番幸せであると感じられる自己肯定力だ。女の子の未来は、この日本で明るくあってほしい。女性が輝ける社会とは、つまりは、女性への教育投資だと思う。